10 | 横浜スタジアム・ライヴ
1986 -1988



 佐野元春にとって横浜は特別な土地だ。

 デビュー当時、フランチャイズしていたライヴハウス「舶来屋」は横浜にあった。同じくレギュラー出演していたテレビ番組「ファイティング80's」をオンエアしていたテレビ神奈川も横浜にあった。高校時代に彼が家出し、一時的に暮らしていたのも横浜だ。スキンヘッドのパフォーマーの家に居候し、怒涛の勢いで曲を書き始めた。そのとき、佐野は「僕はものすごく自由なんだ。僕らは何でもできるんだ」という気持ちを抱いたという。当時、東京から横浜まで深夜の国道をバイクに乗って飛ばす瞬間、彼はふっと心が軽くなるのを感じたそうだ。

 その横浜の野球場で1987年9月14・15日に行なわれたのが“カフェ・ボヘミア 横浜スタジオ・ミーティング”だ。1986年10月から始まったコンサート・ツアー「カフェ・ボヘミア・ミーティング」、その後、アリーナ・クラスの会場で行なわれた「6大都市ミーティング」、その大団円を締めくくるのが横浜スタジアムでのコンサートだった。

 ザ・ハートランド結成時、佐野はバンド・メンバーにこう語った。「俺たちは "がんばれベアーズ"だ。今はヘタクソでも、いつか大きな舞台で優勝しよう!」その夜は彼の言葉どおりとなった。

 特別な土地での特別な夜。彼にとって初めての本格的な野外イベントだ。アルバム『Cafe Bohemia』をフィーチャーしたこのコンサートで、佐野はザ・ハートランドとの8年間の蜜月を経て、醸造される芳醇な音楽を奏で、その甘き香りで聞くものに至福の瞬間を与えた。

 カクテルライトの洪水がスタジアムを包み、2日間で7万人も動員したオーディエンスの満足気な笑顔を見たとき、佐野は“自由”と“可能性”を身体全体で受けとめたに違いない。そう、あのときのように。ふっと身体が軽くなり、心の滓が溶けていくのを感じたはずだ。そして、その思いはその場に居合わせた誰もが抱いたものだった。

 光り輝く瞬間を記録をしたライヴ・アルバム『THE HEARTLAND』を聴くとき、その思いが蘇るのは決して僕だけではないだろう。

(市川清師)



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