11 | 佐野元春とビート・ジェネレーション
1986 -1988



「表現者」としての佐野元春を知るうえで決して避けて通れないものが、1950年代中盤に起きたアメリカの文学運動「ビート(=BEAT)」である。

 運動の中心人物、アレン・ギンズバーグやジャック・ケルアック、ウィリアム・バロウズといった「ビート・ジェネレーション」の表現者たちの自由奔放な詩や小説は10代の佐野を熱狂させ、初期の創作にも憧れをあらわに投影させている。しかし、もっとも多大な影響は、彼らの表現者としての「態度」にあるだろう。

 
撮影:Seiji Matsumoto

 大恐慌の時代に生まれ育ち、第二次世界大戦の混乱の中で青春を過ごし、戦後のアメリカの保守体制に「言葉」で闘いを挑み始めた作家たち。マイノリティーな存在であっても徹底して「個」を貫き続けてきた彼らの創作態度を、佐野は「最良の精神」と呼んで止まない。

 こうした憧憬を色濃く表明したのが、1986年4月に発行された佐野が責任編集するマガジン『THIS』第二期の創刊号だった。

「ビート・ジェネレーション」への想いを高らかに特集に組み、自らニューヨークへ飛んでギンズバーグやグレゴリー・コルソといった「現役」との邂逅を果たしている。特にギンズバーグとの対話は短いながらも充実したもので、「時代によって呼び名は変わるが“ビート”は生き続ける。それはボヘミアンとして生きることだ」という名言に触れることになる。

 1986年1月1日の深夜、彼らが参加したポエトリー・ベネフィットの会場であるイースト・ヴィレッジの聖マークス教会でのこと。佐野はこの日の出会いを記した文章の末尾にこう残している。「あなたの心と言葉に感謝。やさしさと孤独に触れさせてくれて、ありがとう」

 かつての時代、若きビートニクスたちがカフェに集い、ジャズの演奏をバックに気ままに詩の朗読を繰り広げた町で、ギンズバーグ本人による“Beat goes on”という言葉で幕を明けたニュー・イヤーズ・デイ──。佐野はその言葉から得た「鼓動」を継承するように、この年の暮れ“遅れてきたボヘミアンがたどり着いたカフェ”をテーマにしたアルバム『Cafe Bohemia』を発表している。それはまさしく「ボヘミアンとして生きる」ための宣言に満ちあふれた作品だった。

 そして原点──ビートニクスたちの「態度」を追い求める作業に終わりはなく、のちの第三期『THIS』(1994年〜)において、確実な結晶を生むに至るのである。

(増渕俊之)



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