05 | シー・ファー・マイルズ・ツアー
1990-1992



「シー・ファー・マイルズ・ツアー」は、1992年1月18日から4月2日のパート1(全28会場)と、同年9月12日から翌93年1月24日にかけてのパート2(全40会場)という二つのブロックで構成された大規模なライヴ・ツアーで、全過程終了までにほぼ1年が費やされている。

 ツアー・タイトルは、良質なアルバムを再発することで知られている英国のレーベル「See For Miles」をベースに、ユーモアを交えて佐野元春自身が付けたものだ。

 アルバム『Sweet 16』はこのツアーのパート1とパート2の間('92年7月22日)に発表され、中でも同アルバムに収録されたタイトル曲「Sweet 16」と「レインボー・イン・マイ・ソウル」は彼の代表曲となると同時に、ツアーの後編を大いに盛り上げる楽曲となった。

「パート1」が行なわれた前年の'91年は、自ら「空白の一年」と呼んでいたことからもわかるとおり、佐野は父の死に直面。音楽からしばらく離れた時間を過ごした。「創作のカンを取り戻すために」と、新しい作品を携えることなくロードに出たのがこの「シー・ファー・マイルズ・ツアー パートI」だった。もともと活気に満ちた曲、「約束の橋」は、このツアーでは、「ウッドストック・バージョン」と名づけられ、ハーフ・テンポでメローな演奏に変えられていた。

 そんな失意の佐野を立ち直らせるきっかけとなったのは全国のファンの声援だった。佐野は後にこのツアーを振りかえって、「ファンからエネルギーをもらったツアー」だったと語っている。佐野はその言葉どおり、「パートI」の終了後、スタジオにこもり、あの活気に満ちたポップの傑作アルバム『Sweet 16』のレコーディングに取りかかった。アルバムはヒットし、続くツアー「シー・ファー・マイルズ・ツアー パートII」では、それまでの空白を一蹴するかのようなパフォーマンスを展開し見事な復活を遂げた。

 追加公演は、「シー・ファー・マイルズ・ツアー パートII・スペシャル」と題され、'93年1月15日に大阪城ホール、23日、24日に横浜アリーナで行なわれた。最終日、「彼女の隣人」を唄う最中、涙で声を詰まらせてしまうという珍しい場面もあった。

(岩本晃市郎)



Previous Column | Next Column



Now and Then