04 | ロックフェスの参加 2001-2002

 佐野は2004年の自身のインディペンデント・レーベル「Daisy Music」の立ち上げに前後して、多くのロック・フェスティバルに参加している。

 ロックフェスの素晴らしいところといえば、お目当てのミュージシャンのステージはもちろん、その前後に出演する他のミュージシャンのライブをナマで観ることができることである。佐野の出演したロック・フェスティバルでは、ついちょっと前までKREVAのステージに狂喜乱舞していた20歳くらいの女の子がKICK THE CAN CREWのスポーツタオルを肩に羽織ったまま、楽しそうに手拍子して『SOMEDAY』を聴いていたり(bayfm 15th Anniversary LOVE OUR BAY SPECIAL LIVE in PORT PARK)、細野晴臣ファンと思しきオーディエンスがそのひとつ前のステージを務める佐野のプレイを堪能し、演奏終了後もアンコールを期待して大きな拍手をしたり(ハイドパーク・ミュージックフェスティバル2005)する光景を見かけた。そんな佐野元春ビギナーの音楽ファンに対して、佐野も普段のステージの凝縮版といったセットリストを用意して応えていた。

 また佐野のステージ目的に足を運んだ我々としても、ロック・フェスティバルにふさわしい場面に心躍らせることがある。例えば2003年に行われた「ARABAKI ROCK FESTIVAL」。佐野のバックバンドにはデビューまもなくから苦楽をともにしてきた元ザ・ハートランドのメンバーが3人(古田たかし、長田進、西本明)も集結。またこの日のバンドには、後にザ・コヨーテバンドに参加することになる高桑圭も参加していた。後に振り返れば、この日のステージでは佐野のキャリアにおいてともに歩んだ3つのバンド(ザ・ハートランド、The Hobo King Band、ザ・コヨーテバンド)のメンバーがひとつのバンドとなって佐野をサポートしたことになる。まさにワンナイト・スタンドと呼ぶにふさわしい、夢のステージだ。

 佐野のロックフェスへの参加はその日集まったオーディエンスのみならず、その日のフェス出演者に対するアピールのようでもあり、また日本の音楽界における自らの現在の立ち位置を確認するかのようでもあった。

(山田和弘)

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