ハヤブサ・ジェット。 今より少し先の未来で見た、決して幸福とは言えない現実を私たちに伝えるためにやってきた男。このアバターが佐野元春クラシックを再定義するという『HAYABUSA JET I』の設定は佐野元春による最新の発明だ。
画期的な点の一つは、佐野の楽曲を未来からの目線でリライトすることで、それらが持つ普遍性をあぶり出していることだ。例えば、バブル崩壊の入口で日本の長い下り坂を予見した「欲望」(1993年)は、2025年に歌い直されることにより、ファシストとビリオネアによって自由と民主主義が揺さぶられる現代を厳しく照射する表現へと更新された。神の不在を歌った「ジュジュ」(1989年)も、倫理と寛容が失われていく今の社会を予見していたかのようなメッセージを内包していたことに改めて気付かされる。
もう一つは、ハヤブサジェットという分身に委ねることで、生身の佐野が重ねてきた年齢や経験から完全に自由になり、より大胆な音楽的冒険に挑むことができた点である。バレアリックなビートを取り入れた前述の「欲望」、インディーR&Bやダブステップといった新しいダンスミュージックの潮流にも呼応した「虹を追いかけて」や「自立主義者たち」。Matt Coltonによるリマスタリングも相まって、その音像はタイムレスな鮮度を宿している。
その試みが完全な成功を収めたことは、久々の出演となったフジロックフェスティバル’25、ライジング・サン・ロックフェスティバル2025での、佐野を初めて観るオーディエンスからのリアクションが証明した。「つまらない大人になりたくない」というパンチラインが新鮮な興奮を持って迎えられたことは、45年のキャリアにおけるハイライトの一つだろう。
ところで、ザ・コヨーテ・バンドとNHK「ソングライターズ」で佐野元春をリアルタイムな存在として認識した筆者以下の世代にとって、佐野元春とは「理知的でジェントルなアーティスト」という印象が強い。
しかし、2025年9月に初めて全編が公開された1994年9月15日の横浜スタジアムでのライブを記録した映像作品『LAND,HO!LIVE AT YOKOHAMA STADIUM 1994.9.15』。この中で数万人の視線を一身に惹きつける佐野の姿には、人間離れした万能感と、ある種の野蛮さに満ちていた。あの夜鳴り響いた「約束の橋」は、デンバーからサンフランシスコまで一気に走り抜ける男を描いたアメリカン・ニューシネマの名作『バニシング・ポイント』、現代で言えば、テロリストの血に呪われた少女の逃走劇を描いたポール・トーマス・アンダーソン監督『ワン・バトル・アフター・アナザー』の主題歌にこそふさわしい、アウトサイダーをも肯定する力を持ったアンセムだった。
前作からわずか9ヶ月という驚異的なインターバルでリリースされた『ハヤブサジェットⅡ』は、そんな佐野元春の”野蛮な万能感”を再定義した一枚だ。サイバー空間を飛び出したハヤブサジェットがフィジカルな世界を放浪しながら、現代を生き抜くためのストリート・ワイズを身につけていく──そんな成長譚が頭に浮かぶ。
「新しい航海」の果てに見つけた荒地を、重心の低いバック・ビートで切り拓く「新しいシャツ」。原曲は端正なギター・ポップだった「レインガール」のリズムにも、荒々しい衝動がほとばしる。常にレッドゾーンのギリギリを正確に狙っていくような結成20周年のザ・コヨーテ・バンドの卓越した演奏は、最新型のマッスルカーのようなクレバーな迫力を感じさせる。
そしてなんと言ってもそのクライマックスは「Happy Man」(1982年)を大胆にリメイクした「吠えろ」だろう。骨太なガレージロックのビートにがっちりとはめ込まれた日本語詩には、本物の不良がだけが身につけたソリッドな生き様が刻み込まれている。「理知的でジェントルなんて、誰が決めた?」──誰にもしっぽをつかませない、ビートニク詩人の凄みが詰まったロックンロールだ。
一方で、未来から現代に向けた佐野元春からのメッセージという前作からの物語性も、この9ヶ月間で混迷をより深めた社会情勢と連動して重みを増している。とりわけ、佐野が極東からの訪問者としてニューヨークへ渡り、様々なルーツのミュージシャンたちと作り上げたマスターピース『VISITORS』(1984年)から三曲も収録されていることは示唆的だ。「君を汚したのは誰」の告発が今も鋭さを失わないのは、40年にもわたる人類の停滞、あるいは後退の表れでもある。しかし、原曲の”I’m so angry”という一節が”君が愛しい”と書き換えられているのは、未来からのささやかな希望と捉えることができる。
さらに歌詞の変化という点で注目したいのは、アルバム『THE SUN』(2004年)収録の「太陽」から、象徴的だった“GOD”の三文字が消えていることだ。街中に怪しげな神々が溢れる様を描写した「誰かがドアを叩いている」(1992年)と合わせて聴くと、“神なき時代に、私たちは何を信じられるのか?”という大きな問いが浮かび上がる。
その問いに呼応するように、未来的なダンスビートの上で繰り返される「夢をみる力をもっと」というフレーズは、いかなる時も悲観に飲み込まれてはならないという、佐野元春がハヤブサジェットに託したメッセージの核心。そして彼がデビュー以来、気高い孤独と共に地平を切り拓くことで体現してきた表現の根幹でもある。HAYABUSA JET シリーズは、45周年の節目にふさわしい、佐野からの不朽のメッセージが込められたアニバーサリー・アルバムである。