なにせ “I” だったのだから。『HAYABUSA JET I』がリリースされた時、当然 “II” の登場を予想した。ハヤブサ・ジェットというペルソナが、ソングライターとしての佐野元春を少し俯瞰した地点から眺めているような、“元春ソングブック”シリーズとして続いていくのかな、と。けれど今回の『HAYABUSA JET II』を聴いて、そうそう単純なことではなさそうだ……と気づいた。
『II』は『I』の続編ではなかった。そこが意外でもあり、同時に佐野元春らしくもある。どちらも今の時代に響く“元春クラシックス”の新しい定義ではあるのだが。『I』は、かつてザ・ハートランドやホーボー・キング・バンドを率いて歌っていた楽曲を、コヨーテ・バンドとの “今” にアップデートしたリイマジン・アルバムの趣が強かったように思う。──今、これらの曲をコヨーテ・バンドと一緒に歌えばこうなるんだ。佐野元春が歌っていた曲を “ハヤブサ・ジェット” が歌えばこうなるんだ。そんな無邪気な遊び心も印象的だった。
もちろん今回の『II』の収録曲たちも、意外性のあるアレンジメントが施され、場合によっては歌詞も変えられ、形としては『I』同様、アップデートされた元春ソングブック的な存在感を放っている。だが今度は、曲を時代に合わせてアップデートするというよりも、今この時代だからこそ隠された本領を発揮する、何かに気づかせてくれる響きを持つ曲たちが並んでいる気がする。
馴染み深い楽曲ばかりなはずなのに、『HAYABUSA JET II』にはとても“今”の匂いが漂っている。それはもちろん、COYOTE BANDと作り上げた最新サウンドや、年齢とともに深みを重ねた佐野元春の成熟した歌声のおかげでもある。だがそれだけではない。収録曲のひとつひとつが、あまりにもこんがらがってしまった2025年の気分にぴったりで、今、この時代を生きるために書かれた作品のように響いている気が、前作以上にするのだ。
かつて彼は自らの楽曲について、「その時の自分が見た世界を描いたスケッチなのだ」と説明してくれた。自分は、同じ時代に生きるさまざまな人々を描く“スケッチャー”なのだ、と。本作を聴きながらその言葉を思い出した。青春ど真ん中のワクワクする思いも、憂鬱な出来事や不安なニュースに押しつぶされそうになった時の息苦しさも。──いつの時代も佐野元春は、そんな心に寄り添い、励ます歌をスケッチし続けてきた。いくつものディケイドを駆け抜けてきた。そしてそのスケッチたちが、時を経てもなお今の時代にフィットしているかどうか。今をいきいきと射抜けているのかどうか。その真摯な検証作業。収められているのは、どれもかつて書かれた曲たち。なのに『HAYABUSA JET II』は、前作『I』以上に“今”という時代を映し出すスケッチブックのようだ。
歴史の中では良いことも悪いことも、何度でも繰り返される。全国ツアーのステージから見える観客たちの表情も、街の風景も、そして世界中から届くニュースも──。それらひとつひとつを全身で受け止めながら、「いつかこんな絵を描いたことがあるな」と、長らく引き出しの奥にしまいこんでいた絵を引っ張り出す佐野元春の姿が思い浮かぶ。
何よりも、言葉ひとつひとつの重みが胸に沁みる。ありがとう。君が好きさ。あまりにもありふれた言葉たち。でも、このことだけは言っておきたい──と歌う「君を想えば(Innocent)」でアルバムは幕を開ける。あたりまえの言葉なのに、彼が歌うと特別な約束になる。あたりまえの思いが世界の雑音の中に埋もれてしまわないように。この曲を皮切りに、そんなテーマに貫かれた10の願いが、彼の新しいスケッチブックに改めて綴られていく。
そういえばずいぶん昔のことになるけれど、佐野が「時々、誰にも内緒で無名のミュージシャンになって、ギター1本抱えて全国ツアーをしてみたい衝動にかられる」と教えてくれたことがある。たしか、デビュー20周年を過ぎた頃だったと思う。 「え、別の名前になるということですか?」 「そう。佐野元春じゃない名前で」 「どんな?」 「なんでもいい。清水一郎とか」
──誰なんだ、清水一郎(笑)。今も昔も、佐野元春の答えはいつもミステリーだ。
でも、もしかしたらちょっぴり本音が混じっていたのかもしれない。1980年から音楽シーンの先頭を駆け抜けてきた佐野元春。誰もが彼の次なる一歩に注目し続けてきた。「ずっと“佐野元春”でいることは、けっこう大変なんだよ」と、冗談交じりに話してもくれた。それだけに『HAYABUSA JET I』がリリースされた時、心から思った。──清水一郎じゃなくてよかった、と。
ありがとう、佐野元春。ありがとう、ハヤブサ・ジェット!