10 | 伊藤銀次
1980 -1981



 1950年、大阪生まれ。大阪歯科大学在学中に“ごまのはえ”を結成し、1972年9月にベルウッド・レコードからシングル「留子ちゃんたら」でデビューを飾る。

 翌1973年、大瀧詠一の勧めで上京。グループはメンバー・チェンジを経て“ココナッツ・バンク”と改名し、はっぴいえんどの解散コンサート(73年9月21日)に出演を果たす。ココナッツ・バンク解散後、銀次は山下達郎に誘われシュガー・ベイブへ。在籍期間は僅かだったが、名曲「ダウン・タウン」を残す。

 1976年には大瀧詠一、山下達郎とともに『ナイアガラ・トライアングル VOL.1』、1977年にはソロ・デビュー作となる『DEADLY DRIVE』を発表する。

 1980年には、佐野元春との運命的な出会いにより、彼のデビュー・アルバムにギタリスト兼プロデュースで参加。初めて佐野に会ったとき、メガネをかけてバディ・ホリーを唄う佐野のロッカーぶりに、伊藤銀次が「イスから転げおちそうになるくらい」の衝撃を受けたというエピソードは有名。デビュー当時の佐野を10年にひとりの逸材と絶賛し「佐野元春は僕らの夢だ」との名言を残した。



 1982年伊藤銀次のソロ・アルバム『Baby Blue』に、佐野は「そして誰のせいでもない」「恋のソルジャー」を提供。ともにコーラスで参加。以後名プロデューサーとして、ソロ・アーティストとして数多くの作品を残す。代表作には『ベイビー・ブルー』(1982年)、『スターダスト・シンフォニー』(1983年)。

 その後、1993年のアルバム『ラブ・パレード』で佐野は数曲プロデュースを担当し、伊藤銀次のカムバックに一役かった。

(岩本晃市郎)



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