04 | ウッドストック・レコーディング
1997-1998



 1997年7月末、佐野とザ・ホーボー・キング・バンドのメンバーはウッドストックに到着した。バンド名義で初となるアルバムの制作のため、彼らはアメリカン・ロックの豊饒な歴史を持つ土地にやって来たのだった。 

 

 ウッドストックはマンハッタンから車で2時間ほど、ニューヨーク州アルスター郡にある、周囲を山脈に囲まれた小さな町である。北部のため、夏は避暑地、冬はスキー場として栄えているが、多くの音楽好きならば特別な印象を持ってこの町の名前を語るに違いない。 (ちなみに1969年に開催された伝説のウッドストック・フェスティバルは、開催直前に町から60マイル離れた場所に変更され、同地とは関係がない) 

 かねてから画家や音楽家たちが好んで暮らし、町は一種の“アーティスト村”として機能してきた。マンハッタンの喧騒を離れ、若者たちが住み着くようになったのは'60年代初頭のこと。ピーター・ポール&マリーやボブ・ディランのマネージャーだったアルバート・グロスマンが、この土地に屋敷を買ったことから伝説は生まれた。
 
 まず、ディランが移り住んできた。グリニッジ・ヴィレッジから若く才能のあるミュージシャンがウッドストックのカフェで演奏する。そしてディランに呼び出されて、そのまま居着いてしまったザ・バンドの面々……。以降、ウッドストックは良質な音楽を育む“供給源”として知られるようになった。



 佐野たちが訪れた場所は、そうした背景を持つ町にある「ベアズヴィル・レコード」の所有するスタジオだった。森に包まれた広大な土地に宿泊施設を兼ね備え、ミュージシャンのための制作環境が整った施設である。ベアズヴィルは熱狂的なリスナーを生んだレーベルだが、所有するスタジオも数々の名作を生み出したことから、世界中のミュージシャンに愛用されている。 
 
 佐野たちはおよそ3週間、この敷地内にあるスタジオ「Barn」(納屋の意)で制作を行なった。現地在住のジョン・サイモンとの共同プロデュースとなった作業は、集団生活から生まれてくる一体感を音で表現し合うように始まった。手作り感覚に溢れたスタジオには、同地に住むザ・バンドのガース・ハドソンやジョン・セバスチャンといったミュージシャンたちがぶらりと訪れ、生まれも言葉も超えて心から音楽を楽しむようにセッションに参加していった。

 

 ウッドストックに住む人々がレコーディングを包み、その交友からバンドとしてオリジナルなサウンドを生み出す。そうした成果が、スタジオの名をタイトルに冠した作品『ザ・バーン』には如実に現われているだろう。まさしく「ウッドストック・メンタリティの産物」と呼ぶに相応しい作品である。

(増渕俊之)



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