06 | 『ザ・バーン』のアナログ盤
1997-1998



 佐野はザ・ホーボー・キング・バンドとの最初のレコーディング地にウッドストックを選んだ理由について、当時このように話している。「バンドを結成して2年が経とうとしているけれど、その間に行なわれたツアーの移動中や、あるいは楽屋でメンバーが何気なく持ってくるCDを聴いていると、みんなの音楽の趣味がよくわかった。現在、メンバーはそれぞれの楽器における様々なバリエーションを持っているけれど、僕も含めてその背景を繙いてみると、全員にとってウッドストックがひとつの交差点だと気づいた」 
 
 各自の立脚点を見据えると、必然的にウッドストック、そしてベアズヴィル・スタジオ、ジョン・サイモン……という連鎖が起こったのである。その経緯を佐野は「自然すぎるほど自然なもの」と呼んでいる。

 

 彼らは土地の暮らしに順応し、短い期間ではあるが地元のアーティストたちとの交流を深めた。その結果、世に送り出されたアルバム『ザ・バーン』はバンド・サウンドの妙技に溢れ、非常に記憶に残る作品となった。 
 
 その佇まいは、CDよりもヴァイナルのほうが似合う。ウッドストックという土地から生まれた作品としては、クラシカルなアナログ盤で存在するのが当前という気がしてくる。地元に住むミルトン・グレイザーやエリオット・ランディといったクリエイターによるビジュアル・ワークも、ベテランならではという味があるだろう。
 
 佐野によれば、このウッドストックも訪れるのは二度目だという。一度目はアルバム『ヴィジターズ』の制作直前。その時のことを、佐野はこう思い返す。
 
「その頃の僕は充分に若く、理想に燃えながらも、一方で経験が不足していた。ウッドストックよりもマンハッタンのど真ん中で、嵐のように吹き荒れていたヒップホップに飲み込まれるような形でレコードを制作することを選んだ。その選択は決して間違いではなかった。でも、あの時、僕はここを訪れて、いつの日かこの場所でレコーディングするのではないかという予感を抱いたんだ」 
 マンハッタンの疼きに掻き立てられて制作された『ヴィジターズ』と、12インチ・ミックスの革新性。そこから10年以上の年月を駆け抜けながら、着実に経験を積み重ねていった佐野が到達した場所がウッドストックだった。そして、その結実が『ザ・バーン』のアナログ盤であるように思える。

(増渕俊之)



Previous Column | Next Column



Now and Then