09 | カントリーロックの逆襲
1997-1998



 ちょっと乱暴な言い方だが、ロック・ミュージシャンというのは“ロック少年・少女のなれの果て”のようなものだ。10代のころ英米のロックに夢中になり、それが高じてミュージシャンになったというケースは多い(実際にはそれほど単純ではないだろうが)。ある意味でニホンのロックの歴史は、そうした人たちの歴史でもあるのだ。

 音楽評論家の能地祐子・萩原健太両氏が提唱した「カントリー・ロッキン・トラスト」という運動は、日本でほとんど顧みられることのないカントリー・ロックの魅力をあらためて捉えなおし、その支持者の拡大を図ろうというもの。1998年9月25日、東京・渋谷のクラブ・クアトロで開かれたコンサート「カントリー・ロックの逆襲'98」には、その呼びかけに賛同したミュージシャンたちが大勢集まった。


Photo by 岡部直美
 


 日本のカントリー・ロックの草分け的存在であるザ・ラスト・ショウと、彼らに続く世代を代表するザ・ホーボー・キング・バンド。このふたつのバンドを中心に、鈴木祥子、直枝政太郎(カーネーション)、細野晴臣、鈴木慶一、かまやつひろし、中野督夫(センチメンタル・シティ・ロマンス)など、カントリー・ロック好きのミュージシャンが入れ替わり立ち替わりステージに上り、それぞれお気に入りのカントリー・ロック・ナンバーを歌った。ザ・ホーボー・キング・バンドも、KYON、佐橋佳幸、井上富雄、そして西本明までもが(!)それぞれ歌を披露した。
 
 佐野元春が歌ったのは、ボブ・ディランの「アイル・ビー・ユア・ベイビー・トゥナイト」だった。ディランが1967年の秋にナッシュヴィルで録音したこの曲(アルバム『ジョン・ウェズリー・ハーディング』に収録)がカントリー・ロックの源流なのだ、という認識に立った選曲だったのだろうか。このあと佐野はもう1曲、ウッドストック(ディランのゆかりの地でもある)に出向いて作り上げた「ロックンロール・ハート」を歌っている。
 
 この夜、観客とステージ上のミュージシャンは“ロック好き”という点では同じだった。「カントリー・ロック」を通じて両者が“会話”を交わした、楽しく意義深い3時間半にも及ぶコンサートだった。


(山本智志)



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