13 | スポークンワーズ ── 語られるための詩
1999-2000



 本作は1985年に発表されたカセットブック『エレクトリック・ガーデン』以降、佐野が残してきた“スポークンワーズ”作品をとりまとめた編集盤である。


 収録は『エレクトリック・ガーデン』全トラックのリミックス・ヴァージョンと、翌年発表された続篇『エレクトリック・ガーデン#2』。またアルバム『FRUITS』に収録された「フルーツ-夏が来るまでには」と、手塚治虫トリビュート・アルバムへの参加作「僕は愚かな人類の子供だった」。そして94年12月に行われたポエトリー・イベント〈Beat-titude Live!〉でのライヴ音源という構成になっている。

“スポークンワーズ”とは、簡潔に言うと“語られるための詩”と定義できる。文章表現ではなく、オーラルな表現による言葉の伝達を意図するものだ。佐野は'83年から'84年にかけて、アルバム『ヴィジターズ』制作のために滞在したニューヨークで'50年代のビートから連綿と継承されるポエトリー・リーディングのシーンに触れ、一般 認識から逸脱した詩表現の可能性に魅かれた。

 日本に帰国してから、佐野は最新の音楽機材によるサウンド・トラックをバックにした“スポークンワーズ”に取り組むことになる。形骸化した詩を、ふたたび路上に引き戻そうとする意識がそこにあった。それは同時に、萌芽の気配を見せていたヒップホップとも「血脈」を同じくしたものと言えよう。『ヴィジターズ』で見せたラップ表現への接近と沿いながら、詩人・佐野元春の活動は『エレクトリック・ガーデン』の制作を期に意欲的に拡張したのである。

 アレン・ギンズバーグを始めとするオリジナル・ビートニクスとの邂逅、またはマガジン『THIS』の編集発行を経ながら、佐野の“スポークンワーズ”表現は深化の一途を歩んだ。本作はその履歴を追いながら、ポップ・ミュージックの表現者とは別 の顔立ちを浮き上がらようとしている。なおも、ポエトリー・リーディングのイベントが日本のカフェやクラブでも市民権を得ようとしている現在において、彼の提示してきた“言葉とグルーヴの融合”は瑞々しさを失っていない。

 佐野はそうした活動を“実験”と呼ぶ。2000年7月に行なわれたインターネット・ライヴ〈Summer of 2000〉で披露された最新の“スポークンワーズ”表現。または近日明らかになるだろう“スポークンワーズ”専門のレーベル発足……。『エレクトリック・ガーデン』の発表から15年を経てなお、その“実験”は更新し続けている。

(増渕俊之)

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