02 | HIROSHIMA 1987-1997
1986 -1988



 南こうせつ、山本コウタローらが中心となり、原爆被災者の特別養護老人ホームの建設と平和祈念を主な目的として、10年という長期に渡り開催されたチャリティイベントが「HIROSHIMA 1987-1997」。ライヴエイド、USA フォー・アフリカに端を発する、ロックと密接に結びついたチャリティ・コンサートが日本なりに行なわれたイベントである。

 日本のミュージシャンの社会に対する意識の向上に貢献した記念すべきコンサートの、第1回目にあたる1987年に佐野元春も参加した(他に尾崎 豊、渡辺美里、ハウンド・ドッグらが出演)。海外へ佐野元春の真摯なアティチュードが発信され、1985年ライヴエイドでも演奏されたスケールの壮大な「Shame〜君を汚したのは誰」をこの日も厳粛に演奏したのは言うまでもない。

 

 翌年から数年間、レコードメーカーを越えたミュージシャンが集い、イベントのテーマ曲が制作されることになり、辻 仁成(エコーズ)作詞、木暮武彦(レッドウォリアーズ)作曲による「君を守りたい」に佐野とザ・ハートランドから西本 明が参加。積極的にチャリティ・イヴェントに出演してきた佐野の作品にも核問題に対する意識が如実に表われたのが、バービーボーイズのいまさともみち、ザ・レッズをバックにレコーディングされ、1989年に発表されたシングル「計画どおり警告どおり」である。

 このシングルのリリースには当時チェルノブイリ原発の事故により、社会が反核を強く求めたことも影響も与えている。ブルーハーツやRCサクセションも反核をモチーフにした作品をリリース。佐野同様、大きな反響を呼んだ。

 しかし広島ピースコンサートへの参加、「計画どおり警告どおり」の発表後は意識の中にメッセージを潜め、声高に反核を唱えることはなくなっていた。そういった意味では一連のチャリティ・イヴェントに関わってきた佐野元春の中で、その後の方向性にひとつ答えが見つかるキッカケとなったコンサートだったのだ。

(東 雄一朗)



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