12 | 敬愛するアーティスト
1989-1990



 たとえばスクリッティ・ポリッティが歌うアレサ・フランクリンへの愛。あるいはロイ・オービンソンのトリビュート・コンサートに集結したトム・ウェイツ、ブルース・スプリングスティーン、ジャクソン・ブラウン、エルヴィス・コステロ。または「ローリング・ストーン」誌が選出する“ロックの殿堂”……。 佐野は1993年に発行されたムック『The Circle of Inocence』のインタビューで、こうした実例を挙げながら「ポピュラー・ミュージックの世界にはリスペクトの精神――先達に対する敬意を音楽に託した例が無数にある」と語る。

 つまり音楽とは「リスペクト」によって更新していくという理念。佐野はそうした意識の表われとして「カヴァー」という行為も説き、ロッド・スチュワートやジョン・レノンのアルバム『ロックンロール』の存在を取り上げる。そしてボブ・ディランとニール・ヤングをつなぐ、同時代を生き抜いてきた者たちの「共感」――。これらの事象をふまえた上で、佐野は次のように続ける。

「成功しているひとりのミュージシャンがいるとしたら、彼が今ここにいるのは自分の力ではなく、ロックンロールやポップ音楽の歴史の中で過去のあの人がいたから今の自分が生かされているのだ、という認識が必要なんだ」

 先達への敬意を積極的に表現することに欠けた日本のロック・シーンにおいて、佐野は「10代のときのアイドル」への謝辞を高らかに告げてやまない。実際に対面したボブ・ディラン、ルー・リード、トッド・ラングレン、ニール・ヤング、アレン・ギンズバーグらには、簡潔で最大級のメッセージ「どうもありがとう」を添えながら。この言葉は佐野の活動にとって、もっともトラディショナルな「態度」である。

 しかし、ただカヴァーしたり、謝辞を告げることが音楽を更新するわけではない。先達たちの精神を継承し、ときには反面教師ともする。なおも、次なる世代へ手綱を渡していく「系譜」に身を置くという意識も重要なことだ。

 佐野はインタビューの最後をこう締める。「本当にリスペクトを表明すべきは、日本語によるロック表現を最初に始めたはっぴいえんど、またはその時代を取り巻くバンドやソングライター」だと。彼らがいなければ、おそらく「アンジェリーナ」の言葉づかいやビート感は生まれてこなかった。それをもっとも「自覚」しているのは、佐野自身なのである。

(増渕俊之)



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