今年3月の『HAYABUSA JET I』を含め、このシリーズは「佐野元春の作品」というより、〈HAYABUSA JET〉の作品として聴いたほうが、そのエッセンスを捉えやすいのではないか。第2弾『HAYABUSA JET II』を聴きながら、今まさにそう確信しはじめている。活動歴45年、正真正銘のレジェンダリーな存在でありながら、音楽的好奇心に導かれ自身の作家性を更新し続けてきた稀代のシンガー・ソングライターが、2005年から共に歩むTHE COYOTE BANDと再定義した〈佐野元春クラシック〉の2作品。〈HAYABUSA JET〉とは、いま佐野が採用している新たなアバターだ。かつて佐野は本気でHAYABUSA JETへの改名を考えたが、周囲からの猛反対にあい、泣く泣く断念したという。それほど思い入れのある名を、いま彼は新しいペルソナとして纏っている。今回のトランスフォームは彼特有のチャーミングな振舞いとして受け流されているようにも感じていたが、実は極めて重要だった。『HAYABUSA JET』は佐野元春ではなく、HAYABUSA JETが歌わなければ成立しなかった作品なのだ。
前作『HAYABUSA JET I』は、心躍るロックンロールの快作だった。THE COYOTE BANDならではのタイトでビートの効いた演奏のなか、HAYABUSA JETが歌っていたのは、少し先の未来とも、まさにいま私たちが生きる現在ともとれる街を舞台に生きる若者の心象。街の裏側まで知り尽くし、仲間と会うためのいくつもの場所を持った〈ストリートの賢者〉が、タフに揺れる週末を謳歌する姿を映し出していた。
では『HAYABUSA JET II』はどうか。一聴して感じるのは、前作を“陽”とするなら、本作は“陰”。行動より内省、アウトサイドよりインサイド。深い絶望と激しい憤怒を淡々と綴る“君を汚したのは誰”、〈誰も愛しあっていない、誰も信じあっていない〉と世界を見据える“新しい世界”、ただ眠ってやりすごしたいと願う“新しい航海”。路上を練り歩いていた若者は、世界の卑劣さに胸を痛め、悲しみの影を隠さない。それには、〈もううんざりだ〉と唾を吐きたくなるニュースばかりが流れてきた、2025年のムードも無関係ではないだろう。
だが音楽的には、静かでも重たくもない。“君を想えば”での勇猛なギター・ロックを皮切りに、20年かけて熟成されたTHE COYOTE BANDの芳醇なアンサンブルが、前作以上に味わえるアルバムだ。“新しい航海”のレトロフューチャーなパブ・ロック、“訪問者たち”の宇宙空間を滑空するようなハートランド・ロック、“吠える”のスウィンギンなロカビリー・パンク、“誰かが君のドアを叩いている”のジャングリーな爽快感。ロックンロール・バンドの格好良さが真正面から提示されている。さらに、前作‟欲望”の延長線上にありつつパンピンな鍵盤とブリージンなシンセでバレアリックなディスコ感覚に仕上げた‟太陽や、“君を汚したのは誰”の端正でメロウな音像は、バンドの現代性を際立たせる名演だ。
むしろ、内面を真摯に見つめたからこそ、楽曲たちはいっそうグルーヴしたのかもしれない。本作を聴いていると、テクノやハウスのダンスフロアで訪れる、最高の瞬間を思い出すことがある。真夜中の3時、うっすらと連帯感が漂いながらも、そこにいるダンサーたちは〈いま自分はひとりだ〉というビターで深い実存を噛みしめる時間。荒廃した世界に新しい価値観が芽吹く“新しいシャツ”、すべて崩れ落ちたあとに次の世代が表れることを予感させる“新しい航海”。『HAYABUSA JET II』内で描かれるささやかながら確かな希望は、その感覚とどこか同質だ。
そして、そのパーソナルなリアリティを呼び起こしているのが――佐野元春ではなく、HAYABUSA JETの歌にほかならない。おそらく、〈佐野自身が歌う〉という枠組みで制作されていたら、まったく別の響きになっていたはずだ。その素性や全貌を知る者がいないHAYABUSA JETが歌うことで、歌い手自身のストーリーや歴史から歌が解き放たれる。そうして歌はこの世界のどこかにいる人間の声として響き出す。だからこそ、世代や背景を超え、2025年に生きる人たちのサウンドトラックとして、本作は鳴りえているのだ。
いまこの瞬間も、世界のどこかでHAYABUSA JETは、あなた1人のためにロックンロールを歌っている。