佐野元春『HAYABUSA JET II』

評論 ─ 佐野元春 & ザ・コヨーテバンド『HAYABUSA JET II』『HAYABUSA JET II』を巡るテキスト

佐野元春にとっての「再定義」

大谷隆之

 なぜセルフカバーではなく、リディフィニション(再定義)なのか。目新しさだけを狙ったキャッチコピーではない。単に気取ったレトリックとも違う。佐野元春が選んだ言葉の、本当の重みを身体で感じたのは2025年7月5日。45周年ツアー初日の圧倒的パフォーマンスを目にしたときだった。

 半年間の長いアニーバーサリーサーキットは、インターミッションを挟んだ2部構成になっている。前半は同年3月にリリースされた『HAYABUSA JET I』の収録曲を中心とした元春クラシックス。後半は結成20年を迎えたTHE COYOTE BANDのオリジナルレパートリー。自身の長いキャリアを「コヨーテ以前/以後」で大きく区切り、軽やかに駆け抜けてみせる趣向と言っていい。

 鍛え抜かれた演奏はソリッドに研ぎ澄まされ、ステージには一分の緩みもない。1つひとつの楽曲が有機的に繋がり、バックスクリーンに映し出される清新なイメージともあいまって、揺るぎない流れが生まれていく。待ち焦がれた観客の熱狂ぶりは凄まじいものだった。そして何より心打たれたのは、トータル2時間半に及ぶこのショーが、1つの強靭なグルーヴで貫かれていたという事実だ。

 あの独特なサウンドを、どう文章に置き換えればいいだろうか。音の芯が太く、気骨という単語がこのうえなく似合うギターアンサンブル。重量感があるのにダンサブルで、しかも歌の呼吸にしっかり寄り添ったリズムセクション。スペースを埋め尽くさず、むしろ弾かない瞬間によって余白を際立たせるキーボード。

 形式的にはオーセンティックなギターロックと評して差し支えないだろう。だが佐野のヴォーカルと5人のプレイが完璧に連携し、お互いを引き立て合うことで、コヨーテカラーとしか表現しようのないトーンが織り上げられていく。どの時代の、どのナンバーを演奏しても決してブレない、背骨のような何か──。それが存在するからこそ、時代を超えた曲の連なりが1つの意味を持ってオーディエンスに迫ってくる。

 近年の佐野元春のライブで強く感じるのは、セットリストそのものが言葉を超えたメッセージになっていることだ。リリック、曲調、テンポ、アトモスフィア。さまざまな要素を巧みに配置することで、長ったらしいMCなしでもアーティストの想いが切実に伝わる。今回の45周年ツアーで記憶に焼きついたシーンを1つだけ挙げるなら、コンサート終盤。〈水のように〉から〈大人のくせに〉を挟んで再定義ヴァージョンの〈新しい世界 New Age〉へと続くクライマックスがまさにそうだった。

 2022年のアルバム『今、何処』に収録された〈水のように〉。疾走感溢れるこのナンバーを聴くといつも、世界中で力を増している権威主義体制のことが心をよぎる。自由を求めて弾圧され、散り散りになってしまった者への眼差し。水のように形を変えて伏流し、いつの日か元気で会おうというポジティブな願い。具体的な言及はどこにもないが、苦みを含んだアレンジがそう語っている気がしてならない。

 一方の〈NEW AGE〉は、1984年の『VISITORS』に収録された約40年前のナンバーだ。大量のロボット兵士たちが寸分たがわぬ動きで行進するMV映像は、若いリスナーにとっては衝撃だった。当時28歳の佐野元春が提示したのは、迫りくる全体主義に対するシニカルな未来観。情報テクノロジーによって分断された新世界で、個人が誰と繋がり、どう生きていくかという予見的モチーフだったと今にして思う。

 約40年を隔てて響き合う2曲を繋ぐのはやはり『今、何処』収録の〈大人のくせに〉で、ブルージーなコード進行に乗せ、冗談めかした口調で「ただ心ないこんな世界を/笑い飛ばしたいだけさ」と聴き手を挑発する。曲調もテンポ感もまるで異なる3曲は完全に1つのグルーヴ、1つのトーンで会場に響いていた。そこには過去の名曲カバーという趣きは微塵もない。あるのは唯一無二のTHE COYOTE BANDカラーだけだ。

 そのとき筆者は、スムーズに連なるそのサウンドにこそ「自由を手放さず、来たるべき時代を共に生き抜こう」という表現者・佐野元春の意思が宿っている気がして、深く感動した。そして止まらないビートを感じながら思ったのだ。なるほど、過去のレパートリーを現在の文脈に「再定義」するとは、こういうことなのか、と。

 前置きがあまりにも長くなってしまった。今、私の手もとには前述の〈新しい世界〉を含む新作『HAYABUSA JET Ⅱ』がある。躍動的で、限りなく生気に満ちた10曲の再定義ヴァージョン。充実したシリーズ2作目を一気に聴き通すたびに、45周年ツアーで抱いた感情がリアルに蘇る。

 曲のチョイス、アレンジの方向性、オリジナルからの変更点。ディテールに踏み込むほど想像力が刺激され、味わいが増していくのが嬉しい。45年以上、絶え間なく曲を書き続けてきたソングライターだからこその幅、奥行き、深さが、41分という短い時間に凝縮されている。多様な解釈を受け入れる風通しのいい作りなので、印象はリスナーごとにさまざまだろう。私自身は前作の『HAYABUSA JET I』以上に、「困難な時代にロックし続ける姿勢」をはっきりと打ち出しているように感じた。

 たとえば冒頭に置かれた〈君を想えば〉。今回の新録ヴァージョンでは、1999年のオリジナル版にあった装飾的フレーズが潔く取り払われている。アーシーなルーツロック的な横ノリとは違う、直線的なギターサウンド。心地よくシェイクしながら前へ前へと突進していく快感は、まさにTHE COYOTE BANDの真骨頂だ。そんな生々しいグルーヴと一緒に「君がいなければこの世界はそう/何の意味もないだろう/それがただひとつの真実」というサビが耳を突き刺す。何を信じていいのか誰にも分からないこの時代。小さいけれど揺るぎない立脚点を照らしてくれているようで、心から励まされる。

 あるいは3曲目の〈太陽〉を挙げてもいい。オリジナルは2004年の重要アルバム『THE SUN』の表題曲。アコギをフィーチャーした内省的な世界観で、後半のサイケデリックな展開が圧巻だった。再定義ヴァージョンはそれを大幅にテンポアップ。跳ねるビートと煌めく鍵盤の音色が、えもいわれぬ祝祭感を醸し出す。もちろん「夢を見る力」を希求する根本のメッセージは変わらない。だが、「GOD」という冒頭の呼びかけが省かれているのは示唆的だ。さりげない省略に「神なき時代を自分たちの足で歩いていこう」という佐野一流の鼓舞を感じてしまうのは、やや深読みがすぎるだろうか……。

 7曲目の〈君を汚したのは誰〉は反対に、1984年の原曲より音のレイヤーが重層化されているのが印象的だった。くぐもった質感のキーボードが全体を包み込み、多重録音処理を施されたヴォーカルが静かに、一定の温度を保ちながら訴えかけてくる。オリジナルにあったエモーションの高まりは、ここには見られない。だが「強圧/略奪/追放/悪意/支配/ひどすぎる」という歌詞は2025年の今、私たちが目の当たりにしている現実そのものだ。「I’m angry」というフレーズは「君が愛しい」という一行に置き換えられ、耳元で囁くようなミックスともあいまって、祈りの気持ちがより強く切実に滲む。

 こんなふうに美点を書き連ねていくときりがない。前作同様どのテイクを取り上げても、そこにはたしかな理由と必然性がある。それが『HAYABUSA JET Ⅱ』というアルバムだ。シリーズで新録された20曲は今後、2025年時点のスタンダードアレンジとして、佐野元春のライブの中核を担うことになるだろう。それぞれセットリストの中で新たな輝きを放ち、アーティストとリスナー双方にとって、さまざまな意味を生み出していくはずだ。

 そこで鼓動しているのは、紛れもないコヨーテサウンド。佐野元春が深沼元昭、高桑圭、小松シゲル、渡辺シュンスケ、藤田顕という仲間たちと20年かけて磨いてきたグルーヴだ。聴くほどに改めて感じる。本当に重要なのは細かいリアレンジ云々ではない。多様なコンテクストを持つ過去のナンバーを、“今、此処”にいるTHE COYOTE BANDの音で鳴らすこと自体が、佐野元春にとっての「再定義」だったのだと。