お名前 |
メッセージ |
がちゃん |
ちょうど大学1年から2年生になるときで、天皇の崩御が印象に残って... ちょうど大学1年から2年生になるときで、天皇の崩御が印象に残っている。どのテレビも昭和の回顧番組をやっていたことを覚えている。そして、祖母が亡くなった年でもある。ちょうどMOTOのライブと重なりライブを断念したのが記憶に残る年でもある。「横浜スタジアム'89・夏」は激しい雷雨の後の雨上がりの空の中、観ていた記憶がある。唯一の「ナポレオンフィッシュツアー」だった。 |
おとおさん |
学生最後の年で、自分の将来を真剣に考えていた頃。この3年前に元... 学生最後の年で、自分の将来を真剣に考えていた頃。この3年前に元春の音楽”99ブルース”を初めて聴いてから、毎日のように、元春の音楽を聴きまくってた頃。人生において、機転になった年だった・・
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B-ike |
1989年。
他人に気遣いできず、やっかみや自分だけが不幸だと思い... 1989年。
他人に気遣いできず、やっかみや自分だけが不幸だと思い込んでいた頃。自分のコトしか考えられなかった自分にとっては、世界で起きた大きな事件も、どこか他人事のように、これといった感慨もなく過ごしてした時期です。
人生や未来について真剣に悩む友人に、借りて来た台詞で格好つけて、胡散臭い前向きさを押し売りながら、一方で「それだけ偉そうに騙る自分はどうなんだ?」と考えたときに、結局理想しか喋れない自分の無力さを思い知らされて、改めて「自分は何がしたいのか?どうしたいのか?どうなりたいのか?」なんてことばかりを考えていました。
挫折などというと格好つけているようですが、今振り返ってみると、今までの人生の中では、いくつかあった転機の一つだったと思います。 |
kamiyama |
大学生活も終わる頃、ふとしたことから聞いたこのアルバムに強いイ... 大学生活も終わる頃、ふとしたことから聞いたこのアルバムに強いインパクトを受けた。その後の生活や、その時考えていた女性との関係や、何か現状を打破する強い心を持つことを考えた。
その翌春にはこのアルバムのテープとともにアメリカをバスで1ヶ月かけて横断して、得たものが「世界は変わり続けている」...そして今はごくありふれたほどほど良い生活の中で埋もれている。
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いとぞう |
就職を翌年に控え、でも何もやりたい事も目標も無く、この先どうし... 就職を翌年に控え、でも何もやりたい事も目標も無く、この先どうしたらいいのか悩み憂鬱な日々が続いてました。今思い出しても暗い毎日だった・・でも「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」が発売された時は本当に嬉しかった。何故なら、このアルバムが初めてリアルタイムで買った元春の新作だったから。このアルバム聴いてる時はイヤな事もすべて忘れられた。 |
ina-moon |
1989年5月、ロンドンに旅行しました。
「ナポレオンフィシュと泳ぐ... 1989年5月、ロンドンに旅行しました。
「ナポレオンフィシュと泳ぐ日」は
私にとって、とてもタイムリーなアルバムでした。
そしてこの年の秋、新しい恋をしました。
仕事も私生活も全てが充実していた頃です。
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くろう |
就職して3年たち、ちょっとだけ仕事にも自信がついて自分でやりく... 就職して3年たち、ちょっとだけ仕事にも自信がついて自分でやりくりしていけることが楽しくなっていたときですね。いっぱしの社会人と思ってたけど今考えるとまだまだ青かった!「魔女の宅急便」を見て成長とつまづきに強く共感し、社会の変化を見てこれからもっとよくなっていくように願っていました。子育てと仕事で自分の時間がなくなっていく前の、自由な、青葉みたいな時代でした。 |
harada |
高校3年生。元春反抗期、まっただ中。ある日、レコード屋で『ナポ... 高校3年生。元春反抗期、まっただ中。ある日、レコード屋で『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』のCDとLP盤を見つけた。「もう佐野なんか聴いてられないよ」と、購入せず。TVでツアーの告知を見た。「もう佐野のライブなんか行ってられないよ」。ツアーは観に行かなかった。といいつつ、レイディオショーで聞いた曲たちを羅針盤に、ロック音楽にのめり込んでいった。素晴らしい日々。元春に“再会”したのは、3年後の1992年。『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』を聴いた。ナポレオンフィッシュ・ツアーのビデオを観た。そして、死ぬほど後悔した。 |
kassie |
大学3年生。タイトのミニスカートにスニーカーの女子大生がテニス... 大学3年生。タイトのミニスカートにスニーカーの女子大生がテニスラケットを持って学内を闊歩する中、Gパン、Tシャツで過ごしていたような・・。
大学のゼミの友人がたまたま佐野さんの横浜スタジアムに誘ってくれました(とにかく一緒に行く人を探しまくっていたらしい・・)。そうなんです!私が佐野さんの初ライブを経験した年。雨上がりの横浜スタジアムでの一夜・・・佐野さんに、そしてスタジアムに集まった人々に圧倒されながら、「なんだかかっこいいぞ」と思ったことをはっきりと覚えています。
あれから佐野さんの音楽が気になる存在となり、今はパワーの源になっています。 |
zaizo |
大学6年間を東京で遊び暮らしてもういいかと地元の会社にUターン... 大学6年間を東京で遊び暮らしてもういいかと地元の会社にUターン就職したらいきなり残業の日々。うんざりしてたら1年後東京の親会社へ逆出向。環八沿いのマンション寮にクーラーはなく、夏は窓を開けて暴走する騒音と排気ガスに耐えながら酒でむりやり寝入る日々。毎晩のようにラップ音で始まる金縛りにあってました。
そんな夏のある日、どういう経緯か忘れましたが初めて一人横浜球場でのライブへ。こっちを向いた警備員にはばかに見えるだろうなと思う位猛烈に感動して、その晩はぐっすり眠れた気がします。でもその後はまた酒と金縛りの日々で、リアルな”愛のシステム”を体験しました。 |
カプチーナ |
いつも大学の友達に録音してもらって佐野さんを聞いていた私も卒業... いつも大学の友達に録音してもらって佐野さんを聞いていた私も卒業し結婚し、友達とは遠く離れ離れになり、初めて自分でCDを買いました(スミマセン)。お腹には長女がいて、大きくなりつつあるお腹とともに何度も何度も聞きました。このCDを聞くと天安門事件が頭をよぎります。
そして私的にはナポレオンフィッシュツアーにも行くことができ、身軽に歩けた最後の年だったなぁ(最近また自由な時間が持てるようになりました)。 |
thin-p |
1989年6月4日、僕はその8年前にプロポーズした女性と結婚式を挙げ... 1989年6月4日、僕はその8年前にプロポーズした女性と結婚式を挙げた。
当時の僕は仕事に追われ、自分にも婚約者にも、まともに向き合う時間がなく、迫ってくる式の準備も重なって、実は心身ともに疲れ果てていた。
だけど、僕を信じてずっと待っていてくれた彼女への感謝を表したい一心で、どうにか気持ちをやりくりして、やっとその日を迎えた。
そんな状況だったから、同じ日の天安門での出来事を知ったのは、式が済み、仕事に目処をつけて出発したハネムーン先のマンハッタンのニューススタンドだった。
あの頃の尖った街の空気の中、世界が大きく揺れているのを肌で感じたのを覚えてる。
と、これを書きながら、そんな当時の自分に、道ばたでばったり出会ったような気持ちになれた。きっかけをどうもありがとう。
あ、そうそう、20歳の時に僕に佐野さんを教えてくれたのが、現在の僕の妻です(笑) |
tomo mama |
特に夢も無いけど、何故か自信に溢れていた。
友人は、バイクレー... 特に夢も無いけど、何故か自信に溢れていた。
友人は、バイクレースに夢中になり、また、別の友人は、音楽に夢中になっていた。
私は、そんな友人達をそばで見ているだけだった。
初めてパソコンを購入した。
コンピュータで開発の仕事がしたいと、初めて自分で将来の事を考えた。
他の誰でもない、自分の夢が見つかった年だった。 |
ビートニカ |
21回目の誕生日を迎えたものの、特に予定もなければ、嬉しいプレゼ... 21回目の誕生日を迎えたものの、特に予定もなければ、嬉しいプレゼントも届きませんでした。
ただ、テレビからは、中国で国民に対して軍が発砲している映像が流れていました。
僕の生まれた1968年も激動の年だったけど、1989年という年も記憶に留められるべき1年になるんじゃないかな―買ったばかりのCDをヘビーローテーションで聴きながら、世界を見たこともない大学生は震えました。
『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』は、僕にとって未だに特別なアルバムです。
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Daityu |
1989年春、高校を卒業して就職しました。
「ナポレオンフィッシュ... 1989年春、高校を卒業して就職しました。
「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」は
高校時代からずっと聴いていた元春の、
社会人になって初めて発表されたアルバム。
とても印象に残っています。
特に先行シングルで発表されていた
「約束の橋」は、アルバムではカウントが入っていて
もんのすごくカッコよかった。
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農業の神に傅く天使 |
1989年12月、ナポレオンフィッシュツアー関東某公演の会場前... 1989年12月、ナポレオンフィッシュツアー関東某公演の会場前で、偶然のいたずらか後に妻になる人に出会いました。今ではかわいい男の子二人の母親です。携帯電話や電子メールがある今ならば、決してありえない出会いがあった80’sの一コマでした。 |
flcl23 |
当時は11歳、小学六年生。まだまだ子供で視野も酷く狭く、世界の変... 当時は11歳、小学六年生。まだまだ子供で視野も酷く狭く、世界の変化なんて大した問題とは捉えていなかった。でも少しずつ音楽の素晴らしさに目覚め始めた頃でした。まぁ、元春を知るのはもう少しあとになるのだけれども。 |
ぷう |
イギリスで初めての海外生活。バスの一番後ろの座席に寝そべって、... イギリスで初めての海外生活。バスの一番後ろの座席に寝そべって、窓からイギリスの淡いみずいろの空を眺めながら、同じ色のアルバムジャケットの『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』を聴いて、「これからどこへ行こう〜」と口ずさんでた。将来も何も見えなくて不安だったけど、空もかすんでなかったし、何か確信に満ちていた。時は過ぎ、今はオーストラリアのまぶしい青空の下、ものを考え、文章を書く生活。この間たくさんのことがあった。でも、あのときにイギリスで元春を聴いていた自分の魂は、何も変わっていない気がする。 |
シュウさん |
当時中学生の僕は高校受験間近だというのに、生まれて初めて元春さ... 当時中学生の僕は高校受験間近だというのに、生まれて初めて元春さんのライブに行ったのがこの年です。
横浜と中野でした。
今では幅広い年齢層のオーディエンスですが、当時は自分みたいな小僧が行くにはちょっと大人びた雰囲気の中で緊張しました。しかし最後にはそんなこと忘れて目一杯楽しむことが出来ました。おかげで今まで元春ライブ中毒です!
中野でのステージのバックに現れた good by 80's で一時代の区切りが近いということもあり、感極ったのを今でも忘れられません。
そして日々挫けそうになった時は「約束の橋」の最後の詞でよく励まされました。 |
shalala |
家のために大きな夢をあきらめて、理不尽だと思いながら毎日自分の... 家のために大きな夢をあきらめて、理不尽だと思いながら毎日自分のやりくりをしていました。そんな中、世界で一番好きな二人に会うのが生きがいでした。元春と、3年後本格的に交際し、亡くなった今でも永遠の存在である人と。(この二人、よく似てる) |