1984年
1月
レコーディング・スタジオでルー・リードと面会する。
2月
プロモーションビデオ「トゥナイト」(監督:ボブ・ランベル)、「コンプリケーション・シェイクダウン」(監督:ジョン・サンボーン)を制作。
雑誌『THIS Vol.4』CBS・ソニー出版より発行。
10月
ギター:横内健広が加入。
パーカッション:里村美和が加入。
ザ・ハートランドのブラス・セクションとしてダディ柴田を中心とした「東京ビーバップ」 が結成され、トロンボーン:ボーン助谷、トランペット:石垣三十郎の二人が参加。
「Visitors Tour '84〜'85」スタート。全70公演。
赤坂ラフォーレにて、プレス向けの「帰国コンサート」を開催する。
11月
シングル『ニュー・エイジ』リリース。
ボブ・ディランの曲「Tight Connection…」のプロモ・クリップに参加依頼の要請を受け撮影するが、後にボツとなる。この時、東京を訪れていたボブ・ディランに面会する。
1985年
1月
東京・代々木公園にて「ヤングブラッズ」のプロモーションビデオ撮影をおこなう。
2月
シングル『ヤングブラッズ』(最高位7位。初のベスト10シングルヒット)リリース。「'85年国際青年年」のテーマ曲となる。印税は日本赤十字社を通じて、アフリカ難民救済の資金として寄付された。
3月
ニューヨークでミックスした12インチ・シングル『ヤングブラッズ』リリース。
5月
伊藤銀次のシングル『夜を駆けぬけて』(POLYSTAR)にコーラスとして参加。
カセットブック『Electric Garden』(小学館)リリース。
7月
フジテレビの特別番組「Live Aid」に『シェイム―君を汚したのは誰』(ライブ・クリップ)で参加。
12月
FM横浜でラジオDJ番組「ザ・ハートランド・アワー」スタート。
1986年
1月
ニューヨークで、詩人アレン・ギンズバーグ、グレゴリー・コルソに面会。
4月
新マネジメント会社「エムズ・ファクトリー」設立。
佐野元春主催の自主レーベル「M's factory」発足。
ギター:横内健広脱退。
東京・日本青年館で月1回のペースで全6回おこなわれるライブ「東京マンスリー」スタート。このライブでのギターは元春が担当する。
雑誌『THIS No.1 (BEAT GO ON)』扶桑社より発刊。
5月
「M's factory」レーベル第1弾シングル『ストレンジ・デイズ―奇妙な日々』リリース、 B面は「アンジェリーナ(Slow Version)」。
カセットブック『Electric Garden #2』リリース。
8月
元春の初期のドキュメント、下村 誠著『路上のイノセンス』発刊。
1987年
3月
約6年続けてきたNHK-FM「サウンド・ストリート/元春レイディオ・ショー」終了。
FM横浜「ザ・ハートランド・アワー」終了。
元春の誕生日に、写真集『THEN』(撮影・著者:岩岡吾郎 角川書店)発刊。
TVK-TV「ライブトマト」収録の為、新都市ホールでライブ。
5月
FM東京系でラジオDJ番組「AJI FM Super Mixture」スタート。この番組が持つオリジナル・レーベル「AJIレーベル」のプロデュースを担当することになる。
「Café Bohemia Meeting」終了。
8月
広島サンプラザホールでのイベント「Hiroshima 1987-1997」に参加。
アスペクタ熊本でのイベント「Beat Child」に参加。
11月
12インチシングル『インディビジュアリスト』リリース。
ザ・ハートランドのメンバーと共に新曲「おれは最低」のレコーディングを行なう。
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