足 跡 1985 - 1988 |
1985年 1月 東京・代々木公園にて『ヤングブラッズ』のプロモーションビデオ撮影をおこなう。 2月 シングル『ヤングブラッズ』(最高位 7位。初のベスト10シングルヒット) リリース。『'85年国際青年年』のテーマ曲となる。 印税は日本赤十字社を通じて、アフリカ難民救済の資金として寄付された。 3月 ニューヨークでミックスした12インチシングル『ヤングブラッズ』リリース。 4月 『Visitors Tour '84〜'85』終了。『Visitors Tour '85 Special』がスタート。全11公演。 5月 伊藤銀次のシングル『夜を駆けぬけて』(POLYSTAR)にコーラスとして参加。カセットブック『Electric Garden』(小学館)リリース。 6月 シングル『リアルな現実 本気の現実』リリース。 東京・代々木国立競技場でおこなわれたイベント『All Together Now』に参加。サザン・オールスターズと共演。 7月 CX特番『Live Aid』に『シェイム-君を汚したのは誰』(ライブ・クリップ)参加。 8月 ビデオ『VisitorsTour'84〜'85』リリース。 11月 12インチシングル『クリスマス・タイム・イン・ブルーー聖なる夜に口笛吹いて』リリース。 12月 FM横浜でDJ番組『ザ・ハートランド・アワー』スタート。
1986年 1月 ニューヨークで、詩人アレン・ギンズバーグ、グレゴリー・コルソに面会。 2月 『Electric Garden#2』レコーディングのためスタジオに入る。 4月 新マネジメント会社「エムズ・ファクトリー」設立。 佐野元春主催の独立レーベル「M's factory」発足。 東京・日本青年館で月1回のペースで全6回おこなわれるライブ『東京マンスリー』スタート。雑誌『THIS』扶桑社より発刊。 5月 「M's factory」レーベル第1弾シングル『ストレンジ・デイズー奇妙な日々』リリース、 B面は『アンジェリーナ(Slow Version)』。 カセットブック『Electric Garden#2』リリース。 7月 シングル『シーズン・イン・ザ・サンー夏草の誘い』リリース。 雑誌『THIS No.2(Style of Cool)』発刊。 9月 定期ライブ『東京マンスリー』終了。 『Wild Hearts』のプロモーション・ビデオを制作。 シングル『ワイルド・ハーツー冒険者たち』リリース。 10月 ザ・ハートランドにギター:長田進加入。 浦和市文化センターを皮切りに全国ツアー『Cafe Bohemia Meeting』スタート。全70公演。 雑誌『THIS No.3(Cafe Bohemia)』発刊。 12月 アルバム『カフェ・ボヘミア』リリース。
1987年 1月 雑誌『THIS No.4(都市のハックルベリィ・フィンたちへ)』発刊。 3月 約6年続けてきたNHK-FM『サウンド・ストリート元春レイディオ・ショー』終了。 FM横浜『ザ・ハートランド・アワー』終了。 TVK-TV「ライブトマト」収録の為、新都市ホールでライブ。 5月 FM東京系でDJ番組『AJI FM Super Mixture』スタート。オリジナル・レーベル「AJIレーベル」のプロデュースを担当。 『Cafe Bohemia Meeting』終了。 6月 12インチシングル『99ブルース』リリース。 7月 仙台市体育館から『Cafe Bohemia 6大都市 Meeting』スタート。全8公演。 8月 広島サンプラザホールでのイベント「Hiroshima1987-1997」に参加。 アスペクタ熊本でのイベント「Beat Child」に参加。 9月 初の球場コンサート『横浜スタジアムミーティング』(2日間)を行なう。 11月 12インチシングル『インディビジュアリスト』リリース。 12月 四日市市文化会館を皮切りに『Pisces TOUR '87winter-'88spring』スタート。全42公演。
1988年 2月 シングル『ガラスのジェネレーション〜Live』リリース。 4月 初のライヴ・アルバム『ハートランド』リリース。LPとCDで発表。 5月 『Pisces Tour '87winter-'88spring』終了。 7月 『Hiroshima 1987-1997』'88年度のテーマソング『君を守りたい』に参加。 8月 シングル『警告どおり 計画どおり』をピクチャーレコードでリリース。 アルバム『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』レコーディングのためロンドンへ。セッションにブリンズレイ・シュワルツ、ピート・トーマスらが参加。 11月 ビデオ『Cafe Bohemia Live!1986〜1987』『The OutTakes』リリース。
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